専業主婦に憧れて

退職後の時間潰し日記

叔父さんへ

父が闘病生活に入ってから、うちら家族をずっと支え続けてくれた叔父さんは恩人でした。

父亡き後の母を気遣ってしょっちゅう様子を見に来てくれたり、母のわがままな要望にも応えてくれたり、いつも申し訳なく思ってました。

母の面倒が行き届かない私と兄に代わって、何から何まで叔父さん夫婦が世話してくれてすっかり甘えちゃってた。

謝る度に「お母さんのことは出来るからしているんだから気を遣わないでね」と言ってくれて。大家族の大黒柱で忙しかったはずなのに。そんな器が大きくて面倒見の良い叔父さんに心から感謝してました。

いつか恩返ししなきゃと思っていたのに。何もできなかったのが本当に悔やまれます。

 

家族や兄弟を愛し末っ子ながら兄弟を支える要として東奔西走。常に自分のことより人のために動く叔父さんは皆にとって大きな存在でした。

こんなに早くお別れが来るなんて誰も納得できない。人のことばかり一生懸命で、自分はもう逝っちゃうなんて人生ってどうなってるんだろう。

だけど、もし止められても同じことをしたんだろうね。厚い人情と正義感の塊みたいな人だったもんね。

 

定年退職後にハマった畑仕事。嬉しそうに沢山の野菜を届けてくれる姿はハツラツとしてたのに。70歳まで勤め上げてからまだそんなに経たないのに。

退職後も人間は働かなきゃつまらないってよく言ってたね。私も今になってその言葉の意味がわかる気がします。

仕事も家庭も趣味も全力で人生を楽しんでた姿や、筋が通った言動には刺激を受けた。それは叔父さんが厳しく育てた子供たちにしっかり受け継がれてる。

 

 

それにしてもあの大学病院は信用できないな。数ヶ月間も的外れな治療や検査ばかりした挙げ句、突然の余命宣告って。

やっと家に帰れてすぐ逝ってしまったのは、大好きな家に帰れて家族に囲まれて安心してしまったの?

最期に穏やかな時間を過ごせて安堵したのかな。

でも悔しい。人を助けて沢山の徳を積んだ叔父さんにはもっともっといい思いをしてもらいたかった。

 

最愛の弟に先立たれた母は、兄弟の中でも特に可愛がって頼りにしていた存在を失って落ち込んでる。叔父さんは母の性格よく知ってるから、今頃うちの父と一緒に苦笑いしてるかな。

母なりに耐えようとしてるし、私も苦戦しながら頑張るから見守って下さい。

そちらでは人の面倒ばかりじゃなくて少しはゆっくりしてね。

 

何度言っても足りないんだけど、本当にお世話になりました。

 

ありがとうございました。