専業主婦にはまだなれない50代

正社員退職後の徒然日記

まゆみちゃんに会いたい

前回のブログに書いた過去の話で、一緒に中学の授業をさぼってエイジアの武道館ライブへ行った親友は、中学2年の学期途中で福島へ引っ越していった。

 

彼女とは家が近所で同じ幼稚園だった。彼女のお母さんは上品で美しく、彼女もまたお金持ちの可愛らしいお嬢さん。極度の引っ込み思案で地味な私とは住む世界が違うとさえ子供心に感じていた。そんなわけで幼稚園では全く関わることなく同じ小学校へ進み、同じクラスになることもないまま地元の中学校へ進んだ。

 

そこで偶然同じ部活動に入り、初めて交わることになる。同性ながらも私にとって高嶺の花みたいな存在だった彼女は、全く気取ったところはなく天然でおっとりな癒し系、でも芯の強さがある子だった。その頃には私も殻を破り立派な八方美人、、いや割と誰とでも仲良くなれるタイプに成長し、お互い存在は認識していたのもありすぐに意気投合した。家が近いので部活帰りに一緒に帰ったのも親しくなるきっかけだったと思う。

 

彼女は3つ上の兄の影響から洋楽、殊にクイーンの大ファンで、よくお勧めのアルバムを貸してくれた。中学生にしてルックスではなくて、クイーンの音楽性にハマっていたのだからなかなかの感性ではないか。洋楽好き同士、話が弾んだ。

 

相性が良いのか、彼女との時間はとても心地良く、学校以外でもよく遊んだ。彼女の家はこの辺りでは目立つモダンな作りで、地下室と屋上のある3階建てだった。屋上へ上がる螺旋階段や、初めて見る打ちっぱなしの鉄筋コンクリートの壁の格好良さにときめいた。

現在では別の人が住んでいるが、昔のまま建て直されることなくお洒落な趣を漂わせている。今でも前を通る度に、皆が憧れるようなかつての完璧で幸せなまゆみちゃん一家が脳裏に浮かび、ひとりノスタルジーに浸ってしまう。

 

 

 

中学2年の夏頃、彼女の母親が亡くなった。彼女は言わなかったのだが、その数ヶ月前から部活を休むようになっていたのは病気療養していたお母さんのことが影響していたのだろう。それ以来、美人薄命という言葉が私の中に刻まれた。

 

忌引き明けに彼女が登校してきてからも、その話題には触れることなく今まで通りの彼女だったが、家の手伝いや家事等で忙しくやがて部活には来られなくなった。中学生で母親を亡くしてどれだけ辛かったか思いを馳せても、想像もできない苦しみだったはずだが、私にはそれを慰める術もなく何もしてあげられなかったどころか、部活に来なくなった彼女に寂しいと言って困らせるという最悪なガキだった。

 

残された父親は、彼の地元福島でお見合いし再婚が決まり、子供2人を連れて帰郷することになった。それが私とまゆみちゃんの最後の別れとなった。

 

彼女は最愛の母親を失ったばかりで、父の再婚という複雑な状況に、とてもとても辛かっただろうに、泣き言を言わないまま私の前から去っていった。私に言ってもわからないと思った可能性もあるが。

 

遠く離れてしまったが、便箋にぎっしりと文字を書き詰めて分厚い封筒を送りあった。

こちらにいた頃は泣き言を言わない気丈な彼女だったが、引っ越した後しばらくして、手紙は徐々に暗い内容になっていった。新しい土地にあまり馴染めないことや継母と合わないということで落ち込んでいて、気の毒に思った。

 

ところが高校生のある時期から彼女は変わった。素晴らしい人たちに出会って、ある活動をするか迷っているというのだ。そして活動に加わる決心をしたと、その人達のおかげで日々学ぶことができ生活もとても充実し、楽しいと。何が起きたか質問してもなぜか教えてはくれないので、誰と何をしているのかがわからなかったが、彼女が元気を取り戻したことはとにかく喜ばしかった。

 

文通は高校卒業あたりまで続いただろうか。色々忙しいと書かれていた彼女からの手紙がいつしか途絶えた。

 

彼女から突然エアメールが届いたのは確か20歳位の頃。インドのデリーでボランティアとして働いていると。

現在話題の宗教団体の一員として。

 

現地の人や仲間たちと撮った写真が同封されていて、瓶底のような分厚いメガネをかけ、昔の面影はないが彼女らしき人がそこにいた。私が知っている可愛らしい姿から想像がつかない変化に、正直驚かざるを得なかった。

 

高校時代に出会った仲間というのは、宗教団体だったのだと今更悟った。

 

家庭のことで悩んでいた思春期の彼女の心の隙に、宗教が入り込んだのは想像に難くない。

 

無宗教の私は戸惑ったが、宗教によって彼女が生きがいを見出し毎日を充実して生きられるのなら、それは否定するものではないと自分を納得させた。

 

それきり彼女からの連絡はないまま数年経ち、有名人たちの合同結婚式のニュースを見てギョッとした。彼女がそこにいないことを祈るしかなかった。

 

インターネットなどない時代、もはや連絡先も不明。彼女がまだデリーにいるのか、結婚して韓国にいるのか、帰国して福島かどの土地にいるのかもわからない。どっぷり宗教に浸かっているのか、それとも足を洗ったのか、幸せなのか、生きているのか、、全く見当もつかない。

 

その後の東日本大震災や、宗教団体に関わる総理大臣暗殺事件は、報道を見る度に胸の奥が痛くなる。

 

私の中のエイジアにはまゆみちゃんの思い出が生きている。43年ぶりにあの時の再現ライブを観たことで、また気持ちが溢れてしまった。子供時代の私には親友であり、大好きだったまゆみちゃんは今どうしているだろう。もう一度会いたいし、至らなかった自分を謝りたいと幾度となく思ってきた。

 

彼女もエイジアが再現ライブをしたことを知っているだろうか。再会は叶わなくとも、地球のどこかで元気でいてくれることをただ願っている。

 

 

 

 

 

 

「エモい」って

1983年、中学校を早退し駅のトイレで制服から私服に着替えた。真っ昼間に子供が街をうろついていたら補導されるんじゃないかとビクつきながら、武道館へ同級生と2人で向かった。「ASIA "in ASIA"」コンサートを観るために。

 

ASIA(エイジア)とは、70年代を代表するいくつかのプログレッシブロックバンドからのメンバーが結成した、4人組のイギリスのロックバンド。

 

デビューアルバムが世界でも大ヒットし、武道館ライブは”ASIA in ASIA”と題してMTVでアメリカに生中継された。当時は今のようにSNSがなく、中学生の自分には情報源がなく、生中継していたことは大人になってから知った。

 

あれから約43年。エイジアが来日するという。しかも83年の武道館ライブの完全再現。これは観るしかない。

会場はビルボードライブ。食事やアルコールを飲食しながら間近で彼らのライブを体感するという、武道館とは全く違った趣だ。

30代前半にラリー・カールトンをブルーノートで見た時、大人の雰囲気に当時の自分はなんだか場違いな気がしたものだが、還暦間近の今となっては着席してゆったりくつろげる環境はとても有り難い。

 

とはいえ食事より音楽が目当てなので2階のカウンター席を選択。まだ新しく綺麗でお洒落な空間は居心地も良く、酒が弱いのにカクテルでも飲みたい気分になるが、万が一酔って気分でも悪くなったら台無しすぎるのでウーロン茶を。周りは皆さんワイン等のお酒を飲みながらのライブ鑑賞を楽しんでいた。

 

ついにメンバー登場。オリジナルメンバーはキーボードのダウンズさんだけ。

83年の初来日直前に追い出された(後に復帰)オリジナルボーカルのジョンウェットンと、代理ボーカルを努めたグレッグレイクはすでに天国。他のメンバーは別のバンドで活動中なのだ。

 

そのためどんなサウンドを聴かせてくれるのかドキドキだったが、珠玉の名曲たちは今でも色褪せることなく美しく心に響いてくるのだった。

 

それにしてもこの何とも言えない感覚は・・・

 

表現するとしたら、エモい。になるんじゃないか。エモいの意味なんて漠然として曖昧だったけれど、、まさに実体験したと思う。自然にエモい〜と呟きそうになった。なるほど、これか。

 

初のライブに衝撃を受けた中学生だった自分が40年以上経った今、酸いも甘いも噛み分けた(個人の感想)大人になって、また同じライブを見ているとは。奇跡としか思えなかった。

 

初めての武道館。エイジアの初来日。かなり後方席で彼らは遥か彼方に小さくしか見えなかったけれど。大好きなアルバムの曲を本人が生で演奏してるのをリアルタイムで聴いた感激と興奮は忘れられない。

真面目な自分は罪悪感もありながら、母が書いてくれた虚偽の早退届けを先生に渡して。今はいずこの親友とワクワクしながら電車に乗った。思い出深いライブ。

 

あの頃の生き生きとした、そして生々しい気持ちを思い出し、過去から現在までをいったりきたり不思議な感情に揺さぶられながらの約1時間半は、やっぱりエモかった。

 

ライブは一人で

大好きなアメリカのロックバンド、Nightrangerナイトレンジャーの日本サヨナラ公演に行ってきた。

年齢的なことや諸事情で、一番いい状態で終わりたいという彼らの姿はこの武道館公演が見納め。ちなみに初来日から40数年、77回目の来日公演。寂しい気持ちとワクワクとが入り混じる、複雑で特別な思いで挑んだ。

 

それはもういつも通りの素晴らしいライブであり、更に最後に相応しく、あまり演らないレア曲や、今年亡くなったオジーオズボーンへのトリビュートやhighway starなども織り込まれた、スペシャル感満載の約2時間半。70歳オーバーとは思えないパワー全開のステージに時間はあっという間に過ぎてしまった。終わって欲しくなかった。

 

しかも今回は一生分の運を使い果たしたのでは?というアリーナ2列目の良席。最後にメンバーが投げたピックも飛んでくる距離で、推しドラマーが投げた手袋を2つ隣のお兄さんがキャッチした。羨ましいが、そこは同じファン同士、嬉しい気持ちは共感できる。明転した後思わず、すごいですね!と話しかけてしまった。するとその連れのお兄さん(隣)がゲットしたピックを私に譲ってくれる奇跡が。紛れもなく大ファンであろうお兄さんが、こんな貴重な物を譲ってくれる優しさに感激したと共に、最後にして最高のライブの感動と、彼らへの惜別の念を分かち合うかのように、固い握手を交わした。

 

と、ここまでは良かったのだが…

ピックをもらい横を見ると、一緒に観ていた友人が「いいな〜」と憮然としていた。それに気づいたのかお兄さんが、たまたま床に落ちていたピックを拾って渡してくれるというこれまた奇跡が。有り難い。これで一件落着とホッとして彼女に渡すと、あまり嬉しそうな顔をせず「良かった、平等になって」と一言。

反射的に、あーごめんね!と言ったが、あまり気に留めていなかった。お礼もそこそこに出口へ歩き出した彼女の異変は始まっていたのだが、私の脳内はライブ後の高揚感に満ち溢れて、それ以外のことは入ってこなかったのだ。

私は歩きながらも名残惜しくステージの写真を撮っていた。いつもなら待ってくれるだろう彼女が、待たずに行ってしまい、気づいた時には出口へ向かう群衆に紛れてはぐれていた。武道館正面出口でやっと追いつくと彼女は「遅っ💢」と怒りを露わにしサッサと歩き出した。

ほんの少しだけど待たせてしまったから、「悪い悪い。ステージに日本語のメッセージがあったから撮りたかったの〜」と柔らか口調で可愛く言ってみるも、無視して早足で歩いていく。

ちょっと待たせただけでこの態度。さっきのことが尾を引いているのだ。ほんの数分前まで最高潮だった感情をぶち壊す、無神経な振る舞いに腹が立った。

 

押し黙り最寄駅まで歩きながら、楽しい気分を台無しにされた悔しさでいっぱいになった。ライブの余韻に浸りたいのに、なんでこんな嫌な気持ちに支配されなきゃならないのか。いやだいやだ。待ちわびていた折角の特別な日なのに。

しばらくしてやや怒りが治まった彼女が当たり障りないことを言って歩み寄ってきた(いつものパターン)が、話す気にならない。だったら最初からやるなよ。すぐカッとなって言葉に出す性格なんとかならんのか。

でも最高の時間のあとにこんな気分で過ごすのはマジで辛すぎた。何もなかったことにしようと自分に言い聞かせ、必死で気持ちを立て直し、その後は普通に振る舞った。

 

帰宅して改めて思い出したらムカムカモヤモヤ。


彼女の怒りの理由を推察すると、二人いるのに私だけにくれたお兄さんへの非難と、断りなしに自分の物にした私の配慮不足、ということか。

 

確かに聞かなかった。頭にもなかった。
なぜならそもそもファンだったのは私で、ライブもずっと1人で参加してきた。誘ったわけでもない。何かの折に、ナイトレンジャーのライブがすごくいいという話をしたら、行きたいと言うのでチケットを取ってあげたのだ。有料会員の先行予約だからあんな良席で観られたわけで、何なら感謝して欲しいくらいだ。

 

お兄さんがピックを私にくれたのも、前段階がある。開演前のこと、早く着いた私は席に座っていて、少しして同年代とおぼしきお兄さん2人が隣に座った。突然会場の一部が沸き立ったので見ると、前方からクルーがスマホで客席を撮っていた。すかさず手を挙げる私。兄さん方も猛烈アピール。まだうちらの周りに客はおらず、結果的に3人でスマホに向かってポーズする形になって思わず笑ってしまい、和やかな空気だったのだ。

ライブ中の熱狂ぶりにも、長年のナイトレンジャー愛が汲み取られ(多分お互い)、万感の思いで彼らを見送る同じ経験をしたからこそ、最後の記念に下さったと受け止めている。

 

一方、遅れて着席した友人は、周りがほぼ男性だったせいか、「うるさい」と怪訝な表情に。開演前から盛り上がる客席の所々で、流れるハードロックと共に歌ったり叫んだりというのはよくある光景だが、彼女の気に障ったらしい。特に隣の例のお兄さんに向けて、わざと聞こえるように「黙ってられないのかな~」などとのたまうので、オイオイそりゃライブを前にして仕方ないでしょといさめたが、納得してない様子だった。なぜか時々急に気難しくなる。でもそんなのどうでも良かった。これから大好きなバンドが一世一代のライブを行うのだから。…そして始まってしまえば彼女も盛り上がっていた。

 

こういうくだりがあってのピック事件。私にしたら、ケチつけてた兄さんからピックを貰おうってか?である。

 

もし私が逆の立場なら本心はどうあれ、良かったねと共に喜び大人の対応をすると思うが、都合の良い想像に過ぎないのだろうか。

まあ自分が気が回らない人間なのは認める。一言断ればあんなことにならなかったのだろう。ただ時と場合を考えて、怒りを抑えて欲しかったと強く思うのは自分勝手なのか。

 

心に残る記念すべき日本ラストライブ。図らずも見ず知らずのファン同士の心温まる交流もあり、感動で幕を閉じた…。はずだった。

いやもう余計な記憶は消去して、楽しかったことだけ思い出そう。

 

やっぱりライブは一人で行くのが性に合っている。

 

 

 

汚れ仕事

※注意。汚い話です。


職場で定期的に悲惨なWC掃除に当たる。昔から貧乏くじを引きやすいタチだからか。それともどの店もそうなのか。


わざとなのか事故なのか。どうしたらそうなるのか分からない事象の数々。
先日は床に落ちてた。便器内(外)を汚すだけでは飽き足らず床にまで。


見ず知らずの輩の人糞処理が業務に含まれるの泣ける。


前日めまいに見舞われた後遺症でやや体調不良で出勤したが、床の落し物が衝撃すぎてショック状態に。具合が悪いことを忘れて働いた。いいのか悪いのか。


清掃後、次々とトイレを使う人たちに、私に感謝して下さいと言いたくて仕方ない、おかしな精神状態になった。


それはいいとして。(よくないけど)


外で使うトイレは綺麗そうに見えてもそこまで綺麗じゃないので油断は禁物。
私は割ときちんと掃除するけど、全員がそうとは限らない。どうやって掃除してるかなんて分からないものね。


うちの店ではざっくり早朝、午前、午後、夜のシフト毎にトイレ清掃してるはずだけど、擦っても落ちない古そうな汚れがしょっちゅう残ってて、数時間前についた汚れとは思えず、だいぶ長いこと放置されてない?と勘ぐることもある。


恐らく女子トイレはそこまで汚く使う人はいないと思うけど、共同トイレは…もうしょっちゅう汚いんで。よくコンビニトイレ使う人にはご承知おき下さいと伝えたい。


ついでに書くと、掃除中に鉢合わせるトイレ使用人間の半分以上が手を洗わない。(ほぼ男性)そんな手でドアやら商品やらを触るんだからそりゃ色んな菌が蔓延するはずだ。


私はコンビニではまず入らないし、駅や外出先等で入る時は必ず除菌するようになったし、使用後は石鹸での手洗いを欠かさない。自分が掃除するようになってみての結果。

 

トイレ掃除すると金運や運気アップするとかいうけど、人糞拾わされる時点でとても運気アップしたとは思えない。
トイレだけではない。客層の悪さにも辟易している。この通りブログ内容が低俗になっているのにも危機感を覚える。

 

聞くところによると、同じ販売でもケーキ屋さんやパン屋さんの客層は良いらしいが真実なのだろうか。お祝い事などのポジティブな気持ちで買いに来るから、嫌な態度の客はいないらしい。(あくまで風の噂)

 

親のこともあり働く時間や場所に限りがあるけど、もしそんなバイトがあるなら是非移りたいとトイレの神様に祈ってみる日々である。

 

青信号に注意

外出時に横断必至の家近の古い国道は、両側一車線ずつで見通しの良い真っすぐな道路。横断歩道は押しボタン式信号機で、なかなか青に変わらないので、車の流れが途切れると青になる前に信号無視して渡る人(私含め)が多い。

 

全く自慢にならない余談だが、かつて実家から最寄り駅へは信号のない大通りを渡らねばならず、小さい頃から車の行き来を見定めてスムーズに横断することに慣れ、日常茶飯事としてきてしまった。

最近は寄る年波には勝てず、視力・判断力・反射神経の衰えを実感し、安全重視でなるべく信号に従って渡るようにしている。

 

この日も帰路で急ぐ必要がなかったので、ボタンを押して信号が変わるのを気長に待つことにした。

相変わらずなかなか変わらない…車の流れが途絶えたら渡ってしまおうか…と悪い癖が頭をよぎりながらも、ふと車道の信号を見ると黄色に変わろうとしていた。横断歩道の向かい側に、信号が変わる丁度いいタイミングで現れたラッキーなおじさんと目が合った。ここは待ち時間が長いので、横断歩道を挟んで向かい合う赤の他人と”いつも長いですよね…”とシンパシーを感じ合うが(勝手に)、この時はツイてるおじさんを羨みながら、車道の信号が赤になったのを確認。続いて歩行者用信号が青になったので渡り始めた。

 

2歩くらい進んだところで右側から来る車が視界に入ったが、歩行者の信号は青なのだからきっと急ブレーキで止まるだろう、ともう一歩踏み出そうとした。ところが車は止まらず間近に迫ってきたのがわかった。

咄嗟に、このままダッシュで前に進んでも間に合わず跳ねられる、と判断し後ずさり。勢いよく後ろ向きに下がったのでふらつきそうになるが、車に当たらないように体を反らせた瞬間、車が私のお腹スレスレを通り過ぎていった。

 

ギリセーフ。助かった…。と思った瞬間、恐怖で体が震えてきた。

 

意味がわからずもう一度信号を見ると、やっぱり青信号。だよねー。私悪くないよねー。

別にひかれたわけじゃないから誰も寄ってきてはくれない。この理不尽な仕打ちへの怒りや恐怖をどこにもぶつけることもできず、モヤモヤした感情を抱え、体内に小刻みな震えを感じながら横断歩道を渡る。

万が一にも私をひきそうになった運転手が車を止めて謝ってきたりして?なんて淡い期待で、車の進行方向を向くが、勿論そのまま遠ざかっていったのだった。

治まらない興奮で、え?なんで?やば!!と遠ざかる車に向かって思わず言葉を吐き出した。(子供か)

 

向かい側から横断歩道を渡ってきたおじさんがすれ違いざまに、大丈夫?と声をかけてくれたのがせめてもの救いだった。

 

帰宅して落ち着いてから不思議に思ったのは、割と間一髪だったし一瞬の出来事だったのに、冷静に色々と考えながら事故を回避したこと。あの一瞬で前に進むか後ろに下がるかを冷静に考えたり、後ろに転倒しないように足元も注意しながら、車に当たらないように体を反らせたり。国道を何十キロで走る車を避けるのにそんな悠長な時間はないはずなのに。体スレスレを走りすぎた車が体感ではスローモーションのように記憶に残っている。

 

ネットで調べたら、実際にタキサイキア現象というものがあり、人間は危機に陥ると脳の情報処理速度が増すために、時間がゆっくり過ぎるように感じるらしい。そんな能力を発揮して守ってくれた自分の体に、少し感謝した。

 

それにしても被害者に非がない青信号での事故はニュースで度々見るので、注意しているつもりだったのに。

 

思い返してみてその理由に気づいた。信号無視する時は左右をよくよく確認して渡るが、信号に従う時は信号を盲目的に信じて、信号だけを見て、左右の車を確認せずに渡ったことに思い至った。

信号無視した方が安全ではないか!という本末転倒な結論になってしまうのだが。

 

全ての運転手が完璧ではないことが身に染みてよくわかったし、信号も盲目的に信じてはいけないと痛感したので、あの日以来、横断する時は自分の目と耳の確認が第一、信号は第二の目安と優先順位を変えることにした。

 

皆さまも青信号は確認不足になり逆に危ないこともあるので、お気をつけて。

 

 

どうすればよかった

ある程度カスハラは有ると想定して働いているけど、マジなピンチ時はどうすべきか、深く考えたことがなかった。

 

コンビニへ来る不特定多数の見知らぬ人間の中には、何をしでかすかわからない輩が一定数紛れている。今更ながら危険を孕んだ環境で働いているという怖さに、先日のカスハラ客に遭遇して気づいた。

 

ゴミをゴミ箱へ捨てない客へ店員が声をかけたことから始まった罵声。

 

お前が捨てればいいだろう。俺は客だぞ。と怒り出した。闇を抱えていそうな男のただならぬ形相に店員は即座に謝った。

 

しかし男の怒りは収まらず、怒りで舌が回らないのか滑舌の悪い罵声を店内に響かせる。
謝っても謝っても男はどんどんヒートアップしていき、汚い言葉で罵り始めた。

 

テメエふざけんじゃねーぞ!俺は金払ったお客様だ!とお買上げ260円の正義を振りかざし、女性店員を執拗に怒鳴り続ける姿は、私にはメンヘラにしか見えなかった。

もう感情のセーブが利かない、理性もない、ただの獣。

 

店員ごときが俺さまに意見しやがってというプライドが大きすぎて、ゴミ箱に捨てるという当り前の常識は無視で、テメエ!本部に電話するぞ!と同じことを繰り返し叫んでいる。

 

何が正しいとかではない。とにかくお客様の気に食わなかった、ただそれだけでひたすら罵倒される。そんなの今考えればおかしすぎるのに。

 

その時はメンヘラ客を怒らせてしまった店員の図としか捉えられなかった。言い方が悪かったのか?とか、ここで私が仲裁に入ったところで火に油を注ぐよな、とか思いを巡らせながら、ただ危害が及ばないように見守るだけだった。勢いに圧倒され、何をするかわからない恐怖心もあった。

 

でも今落ち着いて考えれば、あれだけ女性店員を乱暴な言葉で脅して怯えさせ、心理的に痛めつけたのは、もう充分に暴力なのであって、警備会社又は警察に通報しても良かった案件だったかもしれない。

 

まさに深刻なザ・カスハラに対し何もできなかった自分が、後になって不甲斐なく。自分の感覚の鈍さ、思慮の足りなさも情けない。

 

これからもまた責任者不在の時間帯に、そんなことが起きるかもしれない。脅威に晒されている現実を目の当たりにして、今後はどうするべきなのか考えた。そして次は迷わず通報すると決めた。


心の準備をしておかないと、またビビって何もできなさそうなので、ここに記しておく。

 

無敵メンヘラのカスハラ恐るべし。早いとこ接客業以外で職探しせな。

現実逃避してたらもう6月

最近は現実逃避ばかりの日々。暇さえあれば今さらのマリオカートボンバーマンを繰り返している。ゲームしてると何も考えなくていいから時間の無駄とわかっていてもやめられない。

 

ブログは現実では言いづらい愚痴やストレスを発散する手段にしている自分。ネガティブな内容が多くなり、前向き志向な方の気分を害してしまうんだろうな、などと考えると、ブログも書けなくなってしまったりして。ほぼ読まれてないのにどこに気を遣ってんだって。

 

でも、そうやって書かなかった嫌なことは、物忘れ激しいこの歳になると記憶から大方消えてしまう。よっぽど打ちのめされたこと以外は。あとでブログ読んで思い出して再びムキッとなるよりいいのかも。

 

とは言えやっぱり本音で書いていこうと思う。自分のブログなんだから自由にいこう。

 

先日、2年ぶりに友人に会うことになった。

色々モヤモヤが溜まる年代、親の介護中という似たような境遇なので聞いてもらったらきっとスッキリするかもと期待を抱いていた。

ところが言いたいことの10分の2も話せず、なんだか虚しい気分で帰ってきたのだった。

 

なぜそうなったかといえば、恐らく彼女は沈黙が苦手なのかもしれない。話が一段落しそうになる度、一瞬の間ができると、すぐに別の話題を振ってくる。

私的には2年ぶりとはいえ長年の仲だし、沈黙があってもあまり気にせず、2年の間に頭の中に溜まった話をどうやって切り出そうか考えていたのだけど。次々と話題が変わっていくので、本当に聞いてほしかった、そしてできれば助言が欲しかった話はあまりできなかった。

 

それとあまりじっくり聞いていないのが彼女の様子からわかった。悪気はないのだろうが話の途中で腰を折られたりで、親身になってくれてないと感じて私も深い話はする気がなくなったというか。

 

それを責めるつもりも責める権利もない。きっと盛り上げようとしてくれていただけで、私が想像してたのと違っただけだ。

 

私は何を求めてたんだろう、とふと思った。ただ吐き出して共感してもらって満足したかったのか。久々の再会なのに独りよがりだったかな。
仮に、大変だねって労いの言葉をもらったところで何か変わるわけでもないのに。

 

これはあくまで私の精神状態の問題。

 

ただ私も誰かと会った時にそういう風になっていないだろうかと考えたのだ。自分では聞き上手だと思っているけど、実際どうなんだろうって。

しっかり聞いているつもりでもどこか上の空だったり、自分の決めつけや思い込みで相手の話を片付けてしまってはいないか。

 

これから誰かと会う時には相手にそういう思いをさせたくないなと思った。

 

そんな折に元同僚から会いたいと連絡をもらった。親の介護で悩んでいるらしい。
助けにはならなくても、きっと今の私と同じで、誰かに聞いてわかってもらうだけで少しは気持ちが晴れるはず。

特別仲良しではなかった人だけど、親身に聞こう。その人に失望感が残らないように。