先日テレビで、メジャーリーグでお馴染みヌートバーのインタビューを見た。
テレビ局のサプライズで、ヌートバーのインタビュー中にお母さんの生映像が繋がると、彼は涙ぐんだ。
「母を見るとなぜか感情的になるんだ」
by ヌートバー
それを見て私は画面に釘付け。
うち(私と母)と全然違う…
勿論、国民性もあって親子で「アイラブユー」なんてサラッと言っちゃうけど、それにしても仲良しが過ぎる。
あの親子関係はどうしたら生まれるのだろう。育て方?環境?
これを切っ掛けに過去を振り返ってみたが、母と私のあれこれは長くなるので今回は割愛。
以下は別の視点からの考察。↓
一般的に高齢になるとわがままになったり、自己中心的になっていく傾向はあると思うが、それにしても母ってこんな人だったっけ?といつからか思うようになった。
ある人の影響で。
前職場で私が辞めるまで、長年周囲の人間(特に私)を悩ませたザ・自己中な人がいた。
被害妄想がひどく、いつも自分が悲劇のヒロインで、自分が一番大変、自分が一番可哀そう、という思考回路。
お喋り上手なのだが、誰かを物凄く褒めたと思えば、陰で悪口を言う。都合が悪くなるとすぐ話を逸らすのが常套手段。自分軸で物事を考えるので、周りのことを考えない。
その人とペアで仕事することが多かった私は、自分さえ良ければいいという自己中な言動に、心底うんざりしていたのだ。
改心してもらおうと余計な努力をしたが無駄だった。
自分自身の精神衛生上、別人種と認識してやり過ごすしかなかった。
一方。
父が闘病中、母は献身的に世話をした。老老介護でとてもキツかったのは間違いないが、父の前で、自分がどれだけ大変かや、いつも自分が一番頑張っているかのようなことを時々言った。
また老老介護をいつも手助けしてくれた親切な親戚の陰口を言ったりする。私もそばで親戚と母のやり取りを見ていたので、陰口を聞いても、それ被害妄想じゃない?と思うことが多かった。
何だろうこの感じ。誰かに似ている…
あ!アイツだ!!
そう、それが職場の自己中人間と被ってしまったのである。
母も高齢な上、父が病に倒れたショックの精神的ダメージは、正常な判断能力の低下に影響を及ぼしたかもしれない。
にしても、一番辛いのは余命宣告された父なのに、その父の前で悲劇のヒロインのようなことを言ったり、親戚の親切を当然のように受け止める姿勢は、やはり自己中な職場のアイツと被ってしまう。
職場の自己中さんとは付合いが長すぎて、言うことの予測がついた。パターンが同じだから、言ってることの裏の気持ちも読めるようになった。
言葉では綺麗事を言ってても、実際はそう思ってないんだな、というのもわかるようになっていた。
だから母と会話をしていても、口ではこう言ってるけど、内心は違うことを考えてるのかも、と思うようになってしまった。
母が、都合悪くなると話題を変えてくるのも、やっぱりアイツと一緒だ!となる。
何だかやたら母の発言パターンが似ていて、イチイチ自己中さんを結び付けてしまう。
こうなると年老いたせいなのか、それとも以前からこういう性格の別人種だったのかわからなくなり、実際に母とその人の思考回路が一致してるわけじゃないのに(希望的観測)、勝手にその人の顔が頭に浮かんできて腹が立つ。
”またそんなこと言ってる。○○(アイツ)か!”(心の声)
と職場で長年蓄積した怒りが蘇り、母へなのか自己中さんへなのかわからない嫌悪感が湧き上がるのだ。
この世にああいう別人種がいることを知らなければ、ちょっとした母のわがままや、何の気ない愚痴を、ここまで嫌悪せずに、はいはいとスルーできたのではないだろうか。
自己中さんと会話しているかのような錯覚から、許しがたい気持ちになってしまうのだから。重症。
自己中さんへの嫌悪に耐えた長い年月は、私生活に悪影響を及ぼしている。辞めた後までも幻影に付きまとわれるって一体どんだけなんだ。
日本では耐えることが美学みたいなとこあるけど、必死に耐えたところで全然いいことなんてないということを身を以て痛感している。
何かあったら逃げるべき、という結論に辿り着いた今の私である。