専業主婦に憧れて

退職後の時間潰し日記

祖母の教訓

☆前回のブログに温かいお言葉や沢山のスターをいただきましてありがとうございました!

 

昨日は、侍のような男気溢れた父の命日でした。

コロナ禍に亡くなり通常の見送りができなかったのもあり、未だに胸の奥にしまって見ないようにしていた悲しみに勝つことができない自分です。

 

代わりに祖母のことを書きます。(父方の)

祖母は大阪に嫁いだのですが、夫の浮気が発覚し、幼い子供四人を連れて上京した逞しい女性です。

別居後に祖父は若くして病気で亡くなったので(私が生まれるずっと前)幼い頃の私は存在を認識していませんでした。ちなみに物心ついてから写真で見た祖父は舘ひろしそっくりでした。

詳しいことは知りませんが、祖母は子供を育てるために色んな仕事をしたようで、中でも屋台のおでん屋さんをやってた話は驚きました。というのは祖母は台所に立つことが少なかったからです。台所仕事は母に全面的に任せていました。あたしゃ若い時に苦労したから、老後は楽させてもらうよってことだったみたいです。

ただ冬になるとストーブの上でコトコト煮てくれた小豆が美味しくて。市販のものよりずっと柔らかくて好きでした。石油ストーブのある昭和の風景も懐かしいですね。ヤカンでお湯沸かしましたよね、同世代以上の方限定かな。

 

明治生まれの祖母ですが、あの時代に離婚してシングルマザーってなかなかすごくないですか。

とても芯の(気の?)強い人だったんですよね。
勿論孫には優しかったですが。

親が共働きだったので、小学校から帰宅するといつも祖母が見ている時代劇を、隣に座って見ていました。

銭形平次大岡越前、遠山の金さん、桃太郎侍暴れん坊将軍子連れ狼大江戸捜査網座頭市水戸黄門、etc.大抵の時代劇は見てました。

いくつかのテーマ曲は今ふと耳にすると、幼少期の風景が浮かんで、キュンとするようなノスタルジックな気持ちになるから不思議です。

秀逸な曲も多くて、中でも大江戸捜査網のテーマ曲はめちゃくちゃカッコよくて今でもテンション上がります。大岡越前もいい曲ですよね。銭形平次も調子が小気味良くて好きです。

是非聴いてみてほしいです。


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ドラマ内の「死して屍拾うものなし」のナレーションは毎回しびれましたね~。笑

 

比較的元気だった祖母は78歳でくも膜下出血に倒れ、救急車で運ばれた病院で意識が回復したのものの、そのまま緊急手術をした後は意識が戻らないまま数ヶ月で亡くなりました。

30年以上前なので、その時は仕方がないのだと諦めましたが、今考えると医療過誤だったのかもしれません。

手術前は意識があり話すことができ、医師からも六割方成功するとの話だったのに、結果は違ったからです。

一度でいいから話したい。奇跡を祈りながらお見舞いに通いましたが、そんなに都合良く奇跡は起こらず、それまで良い孫じゃなかった私は罪悪感でいっぱいになり、絶望しました。

時には悪態をついたり家事の手伝いをしなかったり、最低の孫だったことを謝りたかったけど、それは叶わなかった。謝っても今更なんだけど。

後悔しかなかったです。何十年経っても祖母を思い出すと申し訳なくて涙が出てきました。泣かずにいられるようになったのはここ数年です。

祖母が入院してる時に、通学の電車内で思い出してしまい、初めて公の場で号泣してしまいました。涙が止まらなくて困りましたが、困ったのは周りにいた乗客の方々だったかもしれません。

 

亡くなって初めてわかる存在の大きさ。
そういうのに気づかせてくれたのが祖母でしたね。

祖母が亡くなった日は、10代の私のそれまでの人生で一番悲しい日でした。
葬儀の最中はずっと、おばあちゃんごめんなさいしか思ってませんでした。

祖母の死で私が実感したこと…
当り前の毎日は当り前じゃない。人はいつ死ぬかわからない。後悔先に立たず。親孝行したい時には親はなし。

身近な家族を亡くす辛さ、悲しさを、嫌というほど思い知りました。

祖母が身をもって教えてくれた教訓を心に刻んで生きてきましたが、今現在母との接し方に活かせているのか…。

今後も人生修行頑張ります。

 

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