顔も名前も知らないが、とても感謝している人がいる。
その方とは約2年前に始めた犬のインスタで知り合った。
うちのわんこは"私にとって"世界一可愛いが、いわゆるスター犬のルックスではないし特技もない。
他の方達のわんちゃんの写真は可愛いだけでなく、色んな加工でお洒落に編集されていて、始めた当初それを見ただけでアナログ世代の私は気後れしてしまった。
利用者同士の交流も盛んで、元来人見知りの私は、そこに入れる気はしなかったし、入る気もなかった。他の方とは関わらず、思い出の保存場所としてひっそりとやっていこうと。
しかしその方がフォロー&コメントしてくれた日から、インスタライフが変わった。
彼女は私がアップする平凡な写真に、毎回真っ先に優しいコメントを残してくれた。
私と違ってすでに大勢のフォロワーがいるアカウントだったが、うちの平凡なわんこを可愛いと言い、知り合ったばかりの初心者の私にリレーなども回してくれた。
まるで新入りの私に手を差し伸べて、優しく受け入れてくれるかのように、どんな投稿だろうと必ず見て、すぐに嬉しいコメントをくれる。それは初めてのインスタにビビっていた私にとって、とても心強くて有り難かった。
彼女とのやり取りのお陰で自然にインスタに慣れていき、他の方に自分からフォローやコメントも臆さずするようになっていた。
いつの間にかインスタは、思い出の保存場所から、皆のわんちゃん猫ちゃんを愛でながら飼主さんと積極的に交流する場所になり、すっかり今では欠かせない癒しの場である。
彼女にそんなつもりはなかったかもしれないが、こんなにインスタ交流を楽しめるようになったのは完全に彼女の手引きのお陰だった。私にとっての恩人なのだ。
誰にでも気さくにコメントする様子や内容からも、彼女の優しい人柄が伝わってきた。自分より他人を気遣うようなコメントが多く見受けられた。
私が出会う前には愛犬を相次いで亡くし生きる気力を失いかけたり、ご自身も難病を抱えて好きな仕事を辞めざるを得ない過去があった。
投稿を遡って見ると途絶えている時期があり、詳しくは書いてないのだが、気になって時系列でよく読むと持病のせいで倒れて入院していたのだと察した。その後新たなわんちゃんを迎えたことで再び前向きに生きる気力を取り戻し、立ち直ろうとしていた。
その難病の診断は難しいそうで、誰かの役に立てばと、参考までにご自身の体験談をたまに載せたいと言っていた。人のためなのが彼女らしかった。
愛らしいわんちゃんの写真で溢れるアカウントなのだが、彼女の過去を知ると胸が苦しくなった。
ある時私の投稿に彼女からのリアクションがなかった。毎回真っ先に反応してくれるのに、忙しいのだろうか。そういえば彼女の投稿にした私のコメントにも珍しくリプがなかった。
毎日まめに投稿されていたアカウントも数日間更新されなかった。どうしたんだろうと思いながら日々の忙しさに流されていた。
数日後アカウントが更新された。
やっぱり忙しかったのかと軽く安堵しながら読んでみると、彼女のご家族の代筆で、亡くなった旨が書かれていた。
絶句した。
恐らく最後の投稿をしてすぐ、数か月前に倒れた時と同様に、突然倒れてそのまま逝ってしまったと。
最後の投稿動画は前編後編になっていて、前編で終わっている。後編は永遠に見られない。
ショックと共に、怒りが湧いた。
あんなに親切で優しい人が。
もっと先に逝くべき悪者は他にいるじゃないか。
苦難を乗り越えて前向きに生きていこうとしていた人の命が突然絶たれてしまう無情。
やり切れず号泣した。全然涙が止まらなかった。
会ったこともないのに。SNS上でしか知らない人なのに。
どうしてこんなに悲しいんだろう。
知らない人を思って号泣し続ける自分が滑稽だったが、説明できない悲しさ、悔しさが込み上げてきてどうにもならなかった。
何日間も毎晩、一人になると彼女のことが頭に浮かび、泣き続けた。
知り合いなら葬儀に行ったり墓参りに行ったりで、気持ちの整理が少しだけでもできるが、この場合はどこにもぶつけようがない。
ご本人の姿形は浮かばないまま、インスタで偲ぶしかないのだ。
何も知らないままに、そこにある情報だけでその人の人生を想い、むせび泣く自分。
これって一体なんなんだろう。何の感情なんだろう。
とにかく切ない。哀しい。寂しい。悔しい。その人に触れたこともないのに。
味わったことのない感情と折り合いをつけねばならなくなり、SNSが孕んでいる怖さのようなものを感じた。
SNSがなければ、名前も住所も命日すら知らない人を想って泣くという特異な経験をすることはなかったのだから。
彼女の死はなぜか現実よりもリアルに重くのしかかり、どうしても気持ちの整理がつかない私は、彼女が読むことがないとわかっているDMに、もう届かない感謝を書き綴った。するとご家族から返信をいただき、逆に励ましてもらうという申し訳ないことをしてしまった。
でもその文面からは、彼女が思っていた通りの素晴らしい女性だったこと、そして不思議と彼女をそばに感じているというご家族の思いがわかり、少しだけ心が落ち着いた。
現実世界で繋がっていない私にできるせめてもの供養は、彼女から学んだことの実践ではないか。ひとつは、常に他人に親切にすること。
そして彼女が望んでいた、動物や子どもたちが幸せな世の中の実現のためにできることをしていくこと。彼女がいつもチャリティーや慈善活動に敏感で、インスタで発信していたように。
姿のないSNSへの複雑な思いは否めない。ただ予想しなかった出会いをもたらしたのは、現実なのだった。
忘れられないママさんへ(インスタ風)
親切にしてくれてありがとう。天国で愛するわんちゃんたちと再会して、穏やかに暮していますか。いつかそっちへ行ったら、わんちゃんたちを頼りに探すね。もし会えた時は動画の後編が見たいよ。