失業認定日にハローワークへ行ってきた。
前回4時間待ちの経験から今回も覚悟して行ったが、なぜか空いていて30分くらいで手続き完了となり、拍子抜けしてしまった。
前回共に行列してた方達はもう仕事が決まって働いているのだろうか…?
とりあえず職業相談コーナーにあるパソコンで仕事を検索してみる。
全く期待してなかったけど、家から徒歩5分圏内で割と高収入の公募を発見した。ただ私の希望の週3~4日ではなく、週5日勤務だ。
しかし。それでも家からの至近距離と高時給を見た途端にググっと惹かれた。
結局金ナノカ?と自分で自分がわからなくなる。
徒歩5分って何て魅力的なんだろう。
この辺からビジネス街へ出るのは近くても片道45分、往復では最低でも1時間半。通勤時間を有効に使えるタイプではないので、毎日1時間半と満員電車に耐える体力を、無駄に費やすことになるのだ。
それがなくなり、残業もなしなら、週5日勤務でも、体力的に楽なのではないか?
職務内容がキツイかもしれないが、それはどこも同じだとして。
前職場を退職後は、扶養内で週3〜4日程度のパートで働くと決め、その分自分の時間を充実させ、親の世話等が無理なくできたら、と思っていた。
ただ扶養内だと103〜130万の壁で収入はわずかだ。それもわかっていたし、それでいいつもりだった。人生お金じゃないのだから、と。
しかし辞めてから失業保険が出るまで2か月間無収入の生活が続き、ATMで引き落とし時に目にする預金額が減っていくばかりの現実に、段々と一抹の不安のようなものを心に抱き始めた。
夫だってそこまで高給取りではないし、年金だって当てにできるかわからないし、本当にこれで大丈夫なのか。。一応まだ体力の限界ではないし、簡単な事務くらいならこなせる(つもり)なのに、稼げる時にそれを放棄していいのか?
こんな風に思うのには、退職後に始めたサークルで出会った人たちの影響もある。
こういう趣味のサークルに来る人たちは、定年退職したか、生活に余裕のある悠々自適な暇人ばかりかと、大変失礼な偏見を持っていたが、実際は違った。平日は週5で働き、週末をサークル活動に充てる60代半ば〜後半のおじさんたちが沢山いるのだ。
そして彼らは、ちっともしょぼくれてはおらず、元気ハツラツ、ハードなスポーツをバリバリにこなすパワフルおじさんばかりなのである。
生まれ持った体力的な差はあるのかもしれない。そうだとしても、仕事と趣味を両立して人生を謳歌する先輩たちを前に、私はなんだか自分て甘ちゃんだなという気がしてきた。もう働かないで(もしくはゆる~く働いて)ゆっくりしたいって思うにはまだ早いのかなと。
当り前だけど、お金がある方が気持ちに余裕が出る。正直今は、どこか気持ちに余裕がない心地悪さを味わっている。
自分の稼ぎがあった今までと違って、買い物するのも、美容院に行くのも、何にしてもお金を使うことに、ちょっとためらう自分がいる。
収入が無くなってみて初めて、自分の能力の対価としてお金を得る”働く”という行為が、実は楽しくて尊いことだと感じた。その結果として生活が潤い、イチイチためらわないで買い物できるのは、人間の基本的な幸せなんじゃないか、などと思ったのである。違うかな?
こんな風にその時々で気持ちが揺れ動いてしまう私のような人を、どこかで見たような気がしたが思い出した。最終回で大ブーイングを受けたドラマ「あなたがしてくれなくても」のミチだ。どうしたいの?って感じが似てる。
話が逸れたが、ハローワークでみつけた高収入の仕事。
色んな思いと葛藤しながら、流れにまかせてとりあえず応募だけしてみようと、意を決して相談窓口に申請すると、なんと公募期限が過ぎているとのオチだった。
だめと言われると益々気になるのが人間の(私の?)サガ。
またそのポジションの誰かが辞めて公募が出ないかな~と、今現在の私はチャンスを狙っている。