専業主婦に憧れて

退職後の時間潰し日記

不思議体験

夏の風物詩の怪談話。

みなさんのブログだったり、テレビだったりで見かけて、もうそんな季節だなぁと思う。

 

そう言えば自分も一度だけハッキリと見たことがある。

もし幽霊の存在の有無を聞かれたら、わからないと答えるが、その一度の経験から、存在するかもしれないとも思う。

だけどやっぱり半信半疑だ。見たことは真実なのだけれど。それが100%幽霊だったかと問われたら、自分には未知の存在だから確信を持ってイエスと答えることができない。

 

大した話じゃないけど、もしかしたら怖いかもしれないので苦手な方はごめんなさい。

 

小学3年生の夏休みに、祖父母の家へ泊りに行った時のことだった。

玄関を入って目の前にある障子戸を開くと8畳くらいの和室があり、その部屋に家族で寝た。その障子戸は上下に和紙が貼ってあるが、真ん中が20センチ幅くらいのガラスになっていて、部屋から外側が見えるタイプだった。

 

よく、草木も眠る丑三つ時、というが、まさにそんな時間帯だったと思う。真夜中に突然目が覚めた。

 

障子戸のすぐ横の布団に寝ていた私は、なぜか外が気になり、ムクッと起き上がり障子戸の真ん中のガラスから覗いて玄関を見た。

1メートルくらいの廊下を挟んで正面に玄関がある。古い家なので玄関ドアは曇りガラス製の引戸で、少し外が透けて見える。

その曇りガラスの外側に、私と同年代くらいの男児が立ってこっちを見ていた。
見ていたというか凝視していた。ギョロッとした大きな目で、怖い顔で睨んでいたと言うべきか。

外は暗いが玄関灯りの下で、その子は曇りガラスに張り付くようにぴったりくっついていて、顔かたちがハッキリと認識できる。

よく幽霊って足がないとかおぼろげに見えるとか聞いていたけれど、足はある。そしてあまりにハッキリクッキリ見えるので、え?誰?なに??って感じで、何が起こっているのかわからず、しばらく男児と見つめあっていた。

何なら、近所の子?と思ったりしたが、こんな深夜に子供が立っているわけがないし、身動きひとつ、瞬きひとつしないで私を凝視している顔は、人間ではない何かを感じさせた。

初めは、幽霊?人間?と困惑していた私も、しばらくすると急に怖くなってきた。
同じ部屋に寝ていた誰かを起こせば良かったのに、なぜかそれをするのが怖くて、それをしてはいけないような気がして、そのままもう一度布団に潜り込んだ。

恐怖のあまりどうしていいかわからず、しばらくの間布団をかぶって怯えていた。
一体今のは何だったんだろう…
もし人間だったらもうどこかに行ったかな…
でも人間の顔つきに見えなかった…
なぜどうしてホワイ…(古)

と、30分くらいグルグル考えていただろうか。もうさすがにいないだろうと、そ~っと起き上がり障子戸のガラスからゆっくり玄関を覗いてみた。

 

いた!
さっきと全く同じ状態で。一ミリも動いてない。

 

怖!!

 

私はまた布団に飛び込んで、頭から布団をかぶった。

 

まだ私を見てる!どうしよう!こっちに来ないで下さい!助けて!…


と祈りながら、いつの間にか寝てしまった。

 

目が覚めたら夜が明けて明るくなっていた。
私は真っ先に障子戸のガラスから玄関を見たが、もう男児はいなかった。

 

すぐに母にその話をするが信じてくれなかった。親戚たちも一緒になって、そんなばかなと笑い、本当なのに…。と悔しい思いをした。

この辺で昔何かあったとか、子供にまつわる不幸などもなかった。

でも絶対に夢じゃなかった。それはもう普通の人間と同じようにハッキリと見えたのだ。
だいたい夜中に目が覚めて、意味もなくガラスから玄関を覗くこと自体が、彼に呼ばれたとしか思えない。

そんな体験をしたので、私は霊感が強いものと思いその後も心霊体験することを覚悟していたが、まごうことなき姿かたちを見たのは、それが最後だった。次の年も泊りに行ったが、彼は現れなかった。

何かを伝えたかったのか?いつか、そういうことだったのか〜、と思わせるような出来事が起こるのか?
などと思ったが、それらしきことは起こらず、もう半世紀も生きてしまった。
特に何かの予言ではなかったらしい。

 

だが今でもまだ、妖気漂うような、怒りのこもった男児の表情は覚えている。
本当に不思議な出来事だった。
世の中には説明できないことがあるのは確かなようだ。

 

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気付き

前回母への愚痴ブログを書き、一夜明けた時私は突然気づいてしまった。

 

今頻繁に実家へ通って、色々な世話を焼いたり用事を済ましているのは、この先母に何かあった時に、自分が後悔したくないからなのだ。祖母の時のように、何もしてあげられなかったと罪悪感を抱えて生きていきたくないから。

 

つまり自分のためであって、母への愛情から自然に生まれる行為ではないということだ。

 

自己満足だ。だから自分の都合通りにしたいと思うし、それを無視してアピールしてくる母が鬱陶しく感じてしまうのだ。

 

こんな気持ちで通われたって母も本来は嬉しくないよね。(実際は嬉しそうだけど)

 

前回のブログを書いたことで頭が整理されたのか?自分の行動が利己的だったことに思い至って、ハッとした。

 

bittersweetfeeling.hatenablog.com

 

しかし私の自己満足な偽善行為には気づいたものの、その先の改善すべきこと、母との関係や、私の気持ちや態度など、どうしたら良くなっていくのかまでは思いつかない。


現在は自分の都合を優先して、時間ができたら実家に行くようにしているが、最低でも週2回と決めている。この縛りを止めて、母が本当に必要な時だけ母の都合に合わせて行くようにしたらどうだろう。今一度、母のためにという原点に帰ったら感じ方も違ってくるのか?

 

などと、実家へ向かう道すがら考えを巡らせるが、良い改善策は浮かばないまま実家に到着。


この日の私は、自分の利己主義的な部分を申し訳なく思い、いつもより気を遣って優しく話すことを心掛けた。

 

すると、すぐに調子に乗ってあれもこれもと頼み事をしてくるいつも通りの母。
母が理解できない郵便物に目を通し、母の代わりにその書類内容を理解しようとしている私に、あーだこーだと関係ない話を矢継ぎ早にしてきて、全然落ち着いて考えられない。

 

こういうお喋りなところ、性格合わないわ~。
娘と喋りたい気持ちもわかるけど。こんなに頻繁に会ってるのに。

 

でも今日は怒るまい。私だって母を喜ばせたい思いで来ているのだ。一応。
少しでいいから黙ってくれない?と喉まで出た言葉を飲み込んで、淡々とやるべきことをやる。

 

今度はネガティブなボヤきが始まった。何百回と聞いている愚痴。
世話になっている人の悪口。

 

これも流せばいいのだ。わかっているのに、それができない。
自分の親がそんな考え方をしているのが許せない。

 

よせばいいのに、最初は静かにたしなめる。

 

「世話になった人に文句を言うべきじゃないよ、感謝だけしなさいよ」


でも母もしつこい。納得しない。

 

私は年寄りで何もできないんだから、他の人がやるのが当たり前。という考えを崩さない。

 

「それでも感謝はするものでしょ!」

 

段々私の語気は荒くなり、拉致のあかない会話が繰り返され、いつも最後は険悪な雰囲気になる。

 

そこでタイムアップして帰るのが定番のようになっている。

 

この日も帰る頃にはグッタリして、またいつものテンションの下がった鬼瓦のような顔になっている自分であった。

 

せっかくの”気付き”は活かされなかった…
三歩進んで?二歩下がる、私の人生修行は続く。

【泣】

 

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モヤる

親の愚痴です。気分を害される親孝行な方は、ご注意下さい🙇‍♀

 

半年くらい前だったか、寒い冬の日曜日。
その日も私は昼間、母の様子を見に実家へ行っていた。
まだフルタイム会社員だったので、土日のどちらかを実家通いに充てていた頃。

 

夕方まで実家で過ごし、夕飯の準備のため急いでスーパーで買い物して帰宅。夕食後にホッとひと息していると母から電話が。

 

リビングのテレビの音が出ないと言うのだ。(理由は不明)

 

電話越しにリモコン操作を指示してみるが、もう本人はパニック&涙声。
些細なことでよくこうなります

 

「タクシー代出すから来てくれないか」

 

実家まで徒歩約30分弱。一応歩ける距離に家を買っている。車は持ってない。

 

同日に二往復って。今そちらから帰ってきたところだし。泣きたいのはこっちだ。

 

すぐ”タクシー”というけど、勿体なくていつも断っている。
だが寒い冬の夜。明日も会社だ。体力温存のため、この時ばかりはタクシーを使った。

 

こんな時、親孝行な方たちは「よっしゃわかった、待っとき」となるのだろうな、きっと。

 

ただ、実家にはテレビが3台ある。
リビングのがだめなら別の部屋のテレビを見ればいいじゃない?
今すぐ行って直さなくても、こちらの都合がつく日まで他の部屋のテレビを見て待てないのかな?と思うのは心が狭いのだろうか。

そりゃリビングのテレビが一番快適で生活に便利なのかもしれないけど。

さっきまで居た、明日も仕事の娘に、夜遅くにまた来てと頼むほどのことなのかな?

不機嫌さを抑えられないままテレビを直す私に、これくらいいいじゃないの、とオコで言う母。

どこどこの娘さんは優しくてすぐ来てくれるわよ、と。

母の友達は、いつも子供自慢のマウンティング合戦をしているので、そんなことばかり言う。

そーいうとこだよ来たくなくなるの。と心の中で毒づいた。

 

 

…そしてまた今日それが起きた。

 

テレビの故障なんて私もよくわからないので、行ってコンセントを抜いてもう一度接続するだけなのだ。だからまた起きた時はこうすればいいんだよと前回教えておいたのだが、勿論覚えているわけもなかった。

今は退職したので行く時間はあるが、私にも予定がある。暇なりにスケジュールを立てていて、やることがあるのだ。勿論実家通いもスケジュールに含まれていて週2,3回行って様子見、頼まれごとは済ましている。

 

ほんとに今日テレビのために行かなきゃだめなの?

 

どうして親のために子供が時間を割くのは当たり前だと思っているの?

 

お口直しに♡

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予想はしていたが、退職してから母の構ってアピールが増している。大した用もないのに、毎日のように電話やラインをしてくる。

 

恋愛もしつこくされると嫌になるじゃないですか。あれと似てて。

来なくていいよと言われると心配で行きたくなるけど、あまりに来て来てアピールされると行きたくなくなるの。

 

確かに退職理由は高齢の母を思ってのこともあったが、自分の時間を持ちたかったのもある。

認知機能は衰えているが、大病を抱えているわけでもない比較的健康な母に、私の毎日を捧げる気はなかった。

 

でも実際は、ほぼ毎日電話はかかってくるし、何かと用事を頼んでくるし、相談してくるし、何でもかんでも私にのしかかってくる。

 

そんな母を相手にして、暗い気分になったり、ウザく感じたり、火事や戸締りの心配をしたり、詐欺に騙されないか不安になったり。

 

常に心の何処かに気がかりなこととして引っ掛かっていて、どこか憂鬱。

 

車で1時間以上の距離に住む兄は知らん顔。いつも母を気にかけているのは私だけだ。

 

退職してから実家通いするのは、体力的には楽になったが、精神的には一段と重くなってしまった。

 

最近では母にすっかり食傷気味の私は、今日はすごく行きたくなかった。(はいガキです)昨日も行ってるし。明日か明後日に行く予定だし。

 

明日まで待てないか聞いたら、じゃあ近所の知り合いに頼むと言うので、そうしてもらった。
社交的な性格を大いに活かせばいいさ。と投げやり。

 

結局行かなかったものの、自分の薄情さに罪悪感を抱くし、モヤモヤ感がずっと残る。

 

もし行っていても、自分の時間を削られて腹が立つし、行かなくても、そんな自分の冷たさに嫌悪するし、どっちにしてもモヤるのだ。

 

大事なはずの母の存在が疎ましいなんて。自分でも嫌なんだけど。

 

でも、どんな時でも母を優先しないとだめですか?

育ててもらった恩があるから何でも言う通りにしないとだめ?

歳をとったらワガママや自己中には目を瞑らないといけない?

本当にわからない。誰か教えてほしい。

 

それができない私には寛容性が足りないということだけはハッキリしている。

 

人生はいくつになっても修行なんだな。

 

約30年前、同居していた祖母が突然くも膜下出血で亡くなった時、おばあちゃん孝行をしていなかった私は、とても後悔し悲しみを長年引きずることになった。

その教訓で、父にもできることはしたかったので、祖母の時ほど悔恨の念にさいなまれなかった。
それでも後悔はあるし謝罪もしたいが。

もし今急に母に何かあったら、後悔ばかりになってしまうだろう。
私は足りない修行を続けるしかない。

 

 

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自戒

昨日は、「夕飯作りたくない!」と思ったけど、そういうわけにもいかず結局ヘルシーで美味しい?ディナーを作りました。(自画自賛
一応夫も美味しいと。

 

夫はどうも、会社の大事なプレゼンを控えてナーバスになってたようで、要は私は八つ当りされてたらしい。

 

ゴラー💢

 

感情的になるとセーブできず要らんこと言う人なんだ。その繰り返しですわ。

 

昨日のブログ↓

bittersweetfeeling.hatenablog.com

 

ムカつきながらで、雑なブログ書いちゃって。ちょっと反省。

とりあえず夫の機嫌が一旦落ち着いて良かった。

 

さて。💦

最近耳の閉塞感が続いたので(飛行機とかでキーンとなるやつ)、今日は耳鼻科に行くつもりだったけど、今朝起きたら治っていて、おまけに梅雨の晴れ間のいい天気だったので、急に思い立ってハローワークへ行ってきました。

 

耳はなんだったのかな。梅雨で気圧の関係かな?

 

昼時だったのでハローワーク近くでランチをしようとカフェへ。

先払いで、レジが一つしかないのだけど、そこで支払いにやたら時間をかけてる同年代くらいの女性がいた。ずっと携帯をスクロールして何か探している。

今は支払いもスイカやらpaypayやら沢山あるし、クーポンで割引やら何やら色々と複雑だよね。

あんたのペースでいいんだオバアサン♫って呂布カルマさんがCMで言ってる通り。全然待てるよ。お年寄りじゃないけど。

その方も全く動じず、じっくりと探しているし。

…それにしても長い。だいぶ後ろに列が伸びちゃってるよ。
女性の次に並んでる若い男性の体が揺れてイライラしてる。私も舌の根の乾かぬ内に、3分くらい?ですでに何してんのよモードになってしまった。まだまだだな自分。

で、結局みつからなかったらしくて、携帯諦めてカードで払ってた。

別にいいんだけどね。
一番混む昼時だからさ。お腹もすいてるし。サラリーマンたちの貴重な休み時間だし。私は暇人だけど。今日は暑くて汗ダラダラで早くアイスコーヒー飲みたかったし。

本音は結局→準備してから並べばいいのに。

 

ハローワークで職探しした帰り、せっかく出かけたついでに無印良品で買物を。セルフレジでスキャン完了。クレジットカード払いを選択し、カードを…と財布を見たらない。

最近ジムとか行くのに小さい財布を使い分けてるのでそっちにカード入れっ放しだった〜。

VISAタッチ(携帯)は有人レジでも対応してなくて、おまけに現金も少額しか持ち歩いてなかったので、キャンセルせざるを得ず。新しい無印の紙バッグに品物詰めちゃってて、、ほんとにご迷惑おかけしてすいません。店員さんに平謝りして帰宅の途へ。

そのあとスーパーで買物。無事VISAタッチでレジを済ますも、今度はエコバッグを持っていなかった。またレジに戻って7円の袋を買うことに。

 

今日は(今日も)ボケボケだ。急に思い立って出かけるとこれだもんね。
歳とともに忘れ物が多くなってきたので、いつもはもっと持ち物に気をつけてるんだけど。

 

自戒の念

〇混む時間帯のレジは支払い準備してから。

〇急なお出かけの際はいつも以上に慎重に持ち物チェック。

◎人に”準備してから”とか言う前に、自分の準備をしっかりと!

 

 

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働け

夫が働けと言い出した。

退職したばかりの頃は、社会との接点がなくなり戸惑った専業主婦だったが、最近その恵まれた立場に慣れてきて、まさにこれから謳歌しようという(もうしてるか)その時に、それを阻む展開。

 

夫の気持ちはわかる。
毎日働いている脇で、楽しそうに遊び歩いてる妻がいたら複雑だよね。明日も休みでいいな、羨ましいなって思うよね。
それはわかるけど。

 

夫婦って支えあうものじゃないの?
それは都合の良い私の解釈なのか。
世間からは、甘えてると言われてしまうのか?

 

この数年間私が毎日疲れ切ってたのを一番知ってるはずなのに。
ブラック企業でこき使われてすり減りながら、親の面倒もあり、休む時間も自分の時間もろくになくクタクタだったよ。次の仕事始めるまでの数ヶ月の自由時間にも、目をつぶれないものなのか。

確かに今の生活は楽だよ。ストレスないもん。
でも今だけだし。それもだめなの?

 

そもそも悪いと思っているから必ず夕飯は作っているし、家事もやっている。食費も安くやり繰りしてるよ。
交際費等は今まで自分が貯めていた”貯金”から出しているし、何も迷惑かけてないのに。
(貯金と言ったって、生活費にほぼ全額消えて毎月ちょろっと残ったのが、長年の間に貯まってただけの口座預金)
夫的には、そんな余裕があるならもっと生活費を出せと思っているらしい。
そういうもの?

 

食事は作らなくていいんだって。それより働いてほしいんだってさ。
私としては総菜より、栄養価の高い手作りの美味しい食事を提供できることが嬉しいんだけどね。勝手にやってると思ってるかもしれないけど、それだって一応買い物に行ったり、準備したりで手間はかかってるよ。そこは一切評価されないんだよね。

 

正解がないのはわかっているが、一般的に夫と妻の生活費負担の割合ってどんな感じなんだろう。
夫婦それぞれ、人それぞれ価値観が違うから合わせるのは難しい。その辺はよーーく話し合ってから結婚すべきだった。後悔先に立たず。

 

今まではお互いの年収に見合う割合で、それぞれ住宅ローンと生活費を払ってきた。私の方がやや少ないので先に今年、住宅ローンを終えた。それもあって退職の決意ができた。

今は収入が雇用保険しかないので、私の出す生活費は減額してもらっているが、夫はそれがとにかく気に入らない。俺が払ってやっている、と偉そうに言っていた。

 

今の時代は昔のように夫が妻を養うものって考えの人は少ないだろうし、共働きは当たり前だし、私もそれで納得してやってきたが。

フルタイムでは親の介護もキツイので、これからは夫の扶養内で働くつもりだったのだが、夫はそれも面白くないらしい。

生活水準が下がるかもしれないのが我慢できないのだろう。
節約したい私とは正反対で、高いモノ好き、旅行好き。
今までの生活で贅沢しなければ、もう少し貯金も増えていただろうに。

 

元々考え方が全然合わない夫婦だし、夫はモラ男気味。
めんどくさいから合わせてきたが、まためんどくさいことを言い出した。

こういうことがあると、テンションが下がりまくるし、全てが嫌になってくる。
余計なこと何も言わなきゃ、甲斐甲斐しく家事もするし、夫に感謝もして関係性も良くなるし、毎日穏やかにやっていけるのに。

びっくりしたのは、私がまた働くと言ってる言葉が信じられないと言うのだ。

呆れたね。まじで。

どんだけ人を見る目がないのか。何十年一緒にいて、まだ私の人間性がわかってないとか。やばいよね。

こんな生真面目な馬鹿正直な(自分で思ってるだけ?)人間を信じられないなら、もう人間やめちまえ。

あ~あ
感謝もされない夕飯、作る気がしない。

 

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呪縛

退職後、週一で通い始めたスポーツサークル。

かつて中高通して6年間続けた部活動。実力は県大会までは出られる程度だった。
すごーく下手でもないしめちゃくちゃ上手くもないっていう。

50を過ぎての再開は厳しいかとも思ったけど、昔取った杵柄という言葉通り、すぐに勘を取り戻すはずだった。が、あまりに進歩がない。

それはもう情けないくらいに下手くそで。

 

でも…高校時代の苦い思い出のせいか、このスポーツと縁が切れないでいる。    

 

この競技はシングルスとダブルスがある。
中学時代の私はシングルスもダブルスも兼任していたが、ダブルスの方がコンビネーションの妙があり、断然楽しくて好きだった。なので高校ではダブルスをやると決めていた。

高校で出会った気の合う同級生とダブルスペアを組み、先輩にも”プレーの相性がいいから上位を狙える”とお墨付きをいただき、私は中学では成し得なかった上位入賞を目指して、希望に燃えて練習に臨んでいた。

 

ところがだ。高2のある日突然、部活動の顧問からシングルスへ転向するように告げられた。

 

・・・・・・。

 

衝撃すぎた。
ちょっと待って。いやだ。私はダブルスがやりたい。なぜ??


顧問が言うには、私は体も大きいしショットも強いからシングルス向きだと。

いやいやそんなことない。私はシングルスでは自分の技術力が足りず、限界があると中学時代に悟った。
ダブルスは足りない技術力をコンビネーションの技でカバーできるし、パートナーとの相性の良さもキーになるから、相乗効果で上位を狙える可能性もなくはない。先輩たちにもいいペアだと言われてるんだってば!

ところが顧問は、団体戦に弱いうちの学校をシングルスで強化するつもりだった。

当時の団体戦は、1回戦:ダブルス、2回戦:シングルス、3回戦:ダブルス、の順で試合し、その内2勝した方が勝ちというルール。

それまでうちの学校はシングルスが弱く、”捨てシン”と呼ばれて、はなから期待されておらず、ダブルスで2勝する戦法だった。それを私がシングルスになれば”勝ちシン”になると言うのだ。

私にそんな技術があったかどうかはさておき、私自身はダブルスがやりたかったので納得いかなかった。

なにより自分の限界をわかっているシングルスの練習をする気にどうしてもなれなかった。やるからには試合で結果を残したい。それには上位進出の可能性もあるダブルスで出場したかった。

私は猛抗議し続けた。来る日も来る日も。ダブルスをさせてほしいと訴え続けた。

しかし顧問の決定が覆ることはなかった。

こんなにやりたいダブルスをやらせてもらえず、そして私とペアだった子も不本意ながら別の子とペアを組むことになり、私は失意のどん底に堕ち、完全に腐ってしまい練習にも身が入らなくなった。

 

もう辞めてしまおうか…

 

そんな私を救ってくれたのは、共にシングルスを割り当てられたレギュラーメンバー外の子だった。
やる気のない私を見兼ねて忠告してくれたのだ。シングルスだろうがダブルスだろうが、レギュラーであるだけで恵まれていると。

試合に出られなくても一生懸命練習している子達に対して、私の不貞腐れた練習態度は、失礼だということを気づかせてくれたのだ。

そこから私はダブルスへの想いを抑え込み、気持ちを切り替えてシングルスに本腰を入れた。
本気で取り組んだ結果、同じ学校の男子とも互角や、それ以上に戦える力がつき、個人戦で他校の四天王と呼ばれた選手と対戦した際に、1セット奪うまでの実力がついていた。そしてその学校の顧問が私のショットを絶賛してくれたのが、私の部活動ハイライトとなった。

飛びぬけた技術がない私には、そこまでが限界だったが、自分ではやり切ったつもりだ。苦しくて楽しくない(個人の見解です)シングルスを、我ながら頑張ったと思う。

 

だが、私の中では本当にやりたかったダブルスをできなかったことは不完全燃焼の記憶となり、その後も燻ることとなった。

もしダブルスだったらどこまでやれたのだろう、そして結果はどうあれ、やりたいことをやれていたらどれだけ精神的に充実しただろう、という気持ちがなかなか消せない。

中学時代から強くなりたい!絶対になるんだ!と思い、練習は絶対に休まない熱心な部活人間だった。

それも全て、大きな結果を残したいから。シングルスは無理だけど、ダブルスでならと。

しかしその夢は、チャレンジさえもできないまま奪われた。

 

大好きな部活動なのに、その記憶は…

=どんなに望んでも希望が叶わない絶望感。

=私の代わりにダブルスペアになった子の練習を横目で見る悔しさ。

=中学から大好きだったダブルスをプレイできない喪失感。

というやるせない辛抱の記憶と共にある。

 

何十年も経った今となっては、さすがに平常心で振り返ることができるが、少しだけホロ苦い。

部活への情熱が大きすぎたせいで、完全には呪縛から解き放たれていないのかもしれない。

 

私の学生時代は生徒の意思は無視されて、顧問の考えを押し付けられた時代。
今の時代でも部活動の方向性は顧問が強制するものだろうか。今は自主性を大事にして、やりたいことをやらせる時代であることを信じたいし、そうあるべきではないか。

 

 

引退時にもらった、皆からの寄せ書きの色紙には、忘れもしない顧問からの一文が。

「嫌がるシングルスを押し付けたようで悪かった気もしますが…得たものもあったのでは?」

 

この答えは今でも出ていない。

 

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友人の反応

友人が用事で近くまで来たついでに会わないか、と誘ってくれたので会ってきた。

退職してからこうして気ままに友人と会ったりしているが、久々に再会して話をすると、同じ話題でも、人によって反応があからさまに違う。

別人なのだから当たり前ではあるけれど、特に反応が違うのは「恋愛」の話である。

 

この歳になるとどうしても親の介護や病気、老後のことなど、暗くなる話題が多い。そんな中、やっぱり盛り上がるのは恋愛話だ。

もういい歳でそういう感情も落ち着いているから、恋話なんてすること自体があまりないのだが、少し前に私がトキメクという奇跡のような経験をしたので、是非聞いてもらいたくてその話をしてみると、食いつきがいいのはもっぱら同年代の友人である。

上でも下でも5歳以上歳の離れた友人たちは、聞きたくないのか興味がないのか羨ましいのかわからないが、あまり食いつかず、話題を変えられてしまう。

年齢じゃなくてその人の境遇にもよるのかもしれない。子育て中だったり、独身だったりと色々な立場によるのか。

でも!同年代の友人は独身だろうが、子供がいようが、境遇は違えど、皆一様にめちゃめちゃ食いついて盛り上がるのである。
そして自分のことのように喜んで支持してくれて(ほんとは支持しちゃだめ。笑)、今後の動きを知りたがる。


恐らくもう生物学的に心がときめくような恋愛をすることはないと、諦めのような悟りのような境地でいるこの年代。ところが私がときめいた話をすると、まだそんなことが本当にあるんだという純粋な驚きと感嘆が起こる。思いがけず蘇る若かりし日の、あの懐かしいドキドキ感。人生後半の厳しい現実の中で予想外に起こった甘酸っぱいハプニングに、他人事ながらどこか新鮮な希望のようなものを見いだしワクワクするのかもしれない。

 

何かで読んだことがある。結婚詐欺師が「50代の女性は簡単に落ちる」と語るのを。
なぜなら50代は子育ても一段落し、夫とは空気のような関係。会社ではお局的存在として恐れられる上に、老化の兆しが表れ始め、女性としての自信を失ってくる時期でもある。そこに優しい言葉をかけるとコロッと引っかかるのだと。

 

まんまと心理を読まれていて悔しいが、そんなわけで50代は色々と複雑な時期なのである。
同年代の友人は私の恋話を、それはそれは親身になって聞いてくれる。若い頃のギラギラした興味本位のそれとは違い、酸いも甘いも嚙み分け、経験を積んだこの年代だからこその共感や助言、励ましをくれ、温かく見守ってくれる。

 

昨日会った人は年上なのだが、恋話には食いつかずむしろ不快そうだった。そんなの不倫でしょと。

不倫までいかずとも恋に似た想いだけで、日々が楽しくなり前向きな効果をもたらすって事実は、現在のその人の人生ステージでは同調できないらしい。それは理解する。

だけど、気になったのは(女性あるあるだと思うが)、私がダイエットで体重が元に戻ったのを見て、なぜか責めるようなことばかり言い、高カロリーなものを食べさせようとしつこかった。
そういう女性特有の足の引っ張り合いって、いくつになってもあるんだ。(勿論人による)

 

私は広く浅くの付き合いよりも、狭く長くなので、少数の友人と長い付き合いをしてきた。昨日会った人とも30年来の付き合いになる。
そんな関係の中で感じるのは、若い時に、ん?と思った部分って、歳をとると一層際立ってくるなぁということ。

例えば、自分の興味がない話になると上の空になって、すぐに話題を変えてしまうところ、とか。

若い時は頻繁に会う機会があったし、楽しい話も沢山あったし、何よりその人の他の魅力的な部分が好きで、そこまで気にならなかった。

だが年を経てそれぞれの生活があるため1~2年に一度程度しか会わず、話題も減ってきたところで、話したいことを聞いてもらえないと、なにか消化不良のようになる。

私は話下手だが聞き上手なので(自分で言ってスミマセン)相手のどんな話もしっかり聞いてリアクションするタイプ。自分の言いたい話だけして、私側の興味がない話はスルーって随分じゃないの。慣れてるけど。

恐らく本人にはその自覚がないし、今更それを告げる気もない。ただなんとなくこちらからは連絡しなくなりそうだ。

会った後にモヤモヤ感が残る友達とは、無理して付き合いたくないと常々思ってきた。その結果、最初は仲良しだったのに人生のステージが変わる度に、会わなくなった友達がいて、だいぶ友達が減ってきた。もう増えることはないと思うので、これ以上減らしたくはないのだが。

 

先の恋愛話は、何も進展はないしするつもりもない。
ただ同年代の友人とは大いに盛り上がり、明るいネタを提供できて良かったと思う。

その時に、友人が私を思い出すと頭に流れると楽しそうに言っていた、この名曲の歌詞を記念に。1番の歌詞限定。2番は断じてない!

来生たかお作曲で、大橋純子さんの歌が印象に残っているが、子供の頃は全然意味も分からず聴いていた。
これを知っている同年代の方はどう感じるのだろう。(^^)

シルエット・ロマンスの歌詞を見る

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