専業主婦に憧れて

退職後の時間潰し日記

呪縛

退職後、週一で通い始めたスポーツサークル。

かつて中高通して6年間続けた部活動。実力は県大会までは出られる程度だった。
すごーく下手でもないしめちゃくちゃ上手くもないっていう。

50を過ぎての再開は厳しいかとも思ったけど、昔取った杵柄という言葉通り、すぐに勘を取り戻すはずだった。が、あまりに進歩がない。

それはもう情けないくらいに下手くそで。

 

でも…高校時代の苦い思い出のせいか、このスポーツと縁が切れないでいる。    

 

この競技はシングルスとダブルスがある。
中学時代の私はシングルスもダブルスも兼任していたが、ダブルスの方がコンビネーションの妙があり、断然楽しくて好きだった。なので高校ではダブルスをやると決めていた。

高校で出会った気の合う同級生とダブルスペアを組み、先輩にも”プレーの相性がいいから上位を狙える”とお墨付きをいただき、私は中学では成し得なかった上位入賞を目指して、希望に燃えて練習に臨んでいた。

 

ところがだ。高2のある日突然、部活動の顧問からシングルスへ転向するように告げられた。

 

・・・・・・。

 

衝撃すぎた。
ちょっと待って。いやだ。私はダブルスがやりたい。なぜ??


顧問が言うには、私は体も大きいしショットも強いからシングルス向きだと。

いやいやそんなことない。私はシングルスでは自分の技術力が足りず、限界があると中学時代に悟った。
ダブルスは足りない技術力をコンビネーションの技でカバーできるし、パートナーとの相性の良さもキーになるから、相乗効果で上位を狙える可能性もなくはない。先輩たちにもいいペアだと言われてるんだってば!

ところが顧問は、団体戦に弱いうちの学校をシングルスで強化するつもりだった。

当時の団体戦は、1回戦:ダブルス、2回戦:シングルス、3回戦:ダブルス、の順で試合し、その内2勝した方が勝ちというルール。

それまでうちの学校はシングルスが弱く、”捨てシン”と呼ばれて、はなから期待されておらず、ダブルスで2勝する戦法だった。それを私がシングルスになれば”勝ちシン”になると言うのだ。

私にそんな技術があったかどうかはさておき、私自身はダブルスがやりたかったので納得いかなかった。

なにより自分の限界をわかっているシングルスの練習をする気にどうしてもなれなかった。やるからには試合で結果を残したい。それには上位進出の可能性もあるダブルスで出場したかった。

私は猛抗議し続けた。来る日も来る日も。ダブルスをさせてほしいと訴え続けた。

しかし顧問の決定が覆ることはなかった。

こんなにやりたいダブルスをやらせてもらえず、そして私とペアだった子も不本意ながら別の子とペアを組むことになり、私は失意のどん底に堕ち、完全に腐ってしまい練習にも身が入らなくなった。

 

もう辞めてしまおうか…

 

そんな私を救ってくれたのは、共にシングルスを割り当てられたレギュラーメンバー外の子だった。
やる気のない私を見兼ねて忠告してくれたのだ。シングルスだろうがダブルスだろうが、レギュラーであるだけで恵まれていると。

試合に出られなくても一生懸命練習している子達に対して、私の不貞腐れた練習態度は、失礼だということを気づかせてくれたのだ。

そこから私はダブルスへの想いを抑え込み、気持ちを切り替えてシングルスに本腰を入れた。
本気で取り組んだ結果、同じ学校の男子とも互角や、それ以上に戦える力がつき、個人戦で他校の四天王と呼ばれた選手と対戦した際に、1セット奪うまでの実力がついていた。そしてその学校の顧問が私のショットを絶賛してくれたのが、私の部活動ハイライトとなった。

飛びぬけた技術がない私には、そこまでが限界だったが、自分ではやり切ったつもりだ。苦しくて楽しくない(個人の見解です)シングルスを、我ながら頑張ったと思う。

 

だが、私の中では本当にやりたかったダブルスをできなかったことは不完全燃焼の記憶となり、その後も燻ることとなった。

もしダブルスだったらどこまでやれたのだろう、そして結果はどうあれ、やりたいことをやれていたらどれだけ精神的に充実しただろう、という気持ちがなかなか消せない。

中学時代から強くなりたい!絶対になるんだ!と思い、練習は絶対に休まない熱心な部活人間だった。

それも全て、大きな結果を残したいから。シングルスは無理だけど、ダブルスでならと。

しかしその夢は、チャレンジさえもできないまま奪われた。

 

大好きな部活動なのに、その記憶は…

=どんなに望んでも希望が叶わない絶望感。

=私の代わりにダブルスペアになった子の練習を横目で見る悔しさ。

=中学から大好きだったダブルスをプレイできない喪失感。

というやるせない辛抱の記憶と共にある。

 

何十年も経った今となっては、さすがに平常心で振り返ることができるが、少しだけホロ苦い。

部活への情熱が大きすぎたせいで、完全には呪縛から解き放たれていないのかもしれない。

 

私の学生時代は生徒の意思は無視されて、顧問の考えを押し付けられた時代。
今の時代でも部活動の方向性は顧問が強制するものだろうか。今は自主性を大事にして、やりたいことをやらせる時代であることを信じたいし、そうあるべきではないか。

 

 

引退時にもらった、皆からの寄せ書きの色紙には、忘れもしない顧問からの一文が。

「嫌がるシングルスを押し付けたようで悪かった気もしますが…得たものもあったのでは?」

 

この答えは今でも出ていない。

 

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