専業主婦に憧れて

退職後の時間潰し日記

渡米初日に見舞われた【後半】

前半はこちらです↓

bittersweetfeeling.hatenablog.com

 

そこは今までの私の人生では聞いたこともない、ベイカーズフィールドという地で、飛行機から見た限りでは周りに大きな建物等もない、明らかに田舎町の空港という感じだった。記憶が正しければ、小さな一階建てで、飛行機から直に地表へ降り立ち、歩いて建物(空港)の入口から入ってすぐが待合室になっていた。ロスからはこの小さな町への便だから小型飛行機だったのだ。

乗客たちは、当然状況を把握しているので、思い思いにシートへ座ったり、窓口カウンターへ並んだりしている。私は一人、ここはどこ?と心臓バクバクで、心が折れそうになっていた。

頼れる人がいない中で、このあと一体何をすべきか、と勘を研ぎ澄ます。冷静に冷静に。(心の声)
乗り換え案内か何かあるのだろうかとカウンター上の掲示板を凝視する。きっとサクラメント行きの搭乗案内があるはずだ…

あった!

サクラメントの表示。私が乗る飛行機に違いない。よかった~。

…と思ったのもつかの間、よく見るとその下に

「CANCELLED」の文字が。

え、キャンセル?!…飛ばないの?

歓喜が一気に落胆へと変わる。

荒天でもないのに、なぜ?思い違いであってくれ!

しかし空港職員が何度も発している、「メンテナンス」という単語がわかり、機体の不具合で便が飛ばないと把握した。よりによってこんな日に不具合って。そんなバカな。

どうしよう。そうだ日本人を探そう。言葉が通じる人と協力すれば良い知恵が浮かぶかもしれないと周りを見回してみるが、ただの一人もいない現実に、益々孤独感で押し潰されそうになる。

う~ん、、いや待て。冷静に冷静に!
次のサクラメント便があるかも?それに乗ればいいんでしょ??

すがるような気持ちで空港職員の元へ。言えるのは、I want to go to Sacramento today!だけ。返ってきた答えは、メンテナンスで調整中だから今日は飛ばないかもしれない。という、私を奈落の底に突き落とすものだった。終わった…。

つまり今日のサクラメント行の便はないに等しく、右も左もわからないベイカーズフィールドという地で足止めを食らったのだ。ロスまでの順調さはぬか喜びに終わり、自分の不運を呪った。

しばらく途方に暮れ、朦朧とする頭で待合室の窓から外を眺めると、周囲に建物や町の気配はなく、果てしなく続く地平線に、もう日が暮れ始める気配を感じた。この状況ではこの地で一泊しなければならなそうだが、周りにホテルどころか何があるのかもわからない。現在のようにネットのない時代で調べようがないから聞くしかないが、まだ英語が不自由だし…。

サクラメントのホストマザーに連絡を取りたくても、公衆電話のかけ方も、小銭がどれだけ必要なのか、どこかで小銭に両替できるのかもわからない。たとえ連絡が取れても、位置的にすぐ助けに来てもらえる距離ではないだろう。

どうすればいいのか見当もつかず、焦りと不安と絶望で泣きそうだ。でもなんとかしなければ。

そこで、同じ飛行機の乗客たちはどうするのか観察することにした。こんな田舎にわざわざ来るわけない(偏見)、ここは経由地でサクラメントを目指した人ばかりのはず。皆、飛行機がキャンセルされて、ある意味仲間なんじゃないのか。

落ち着いてよく周りを見てみると、やはり皆困っているようだった。とは言え、彼らはそもそもが現地人なので、各々どこかに連絡を取ったり、空港職員に質問したりしていて、私のように窮地に陥っているわけではない。いや私も負けない!こんなわけわからんとこで死にたくない!

すると。一人の白人女性が手を挙げて、何か叫んでいるのに気付いた。皆に問いかけているようだ。私も必死で聞き耳を立て、こう言っていると理解した。

「飛行機が飛ばないので私はレンタカーでサクラメントへ行く。4人まで乗れるけど料金を割り勘して一緒に行く人いる?」

 

はーいぃぃぃ!!


慌てて手を挙げた。外国人集団の中に私一人日本人という初の状況下で、自分が真っ先に手を挙げるのは気が引けたが、こちとらこれしか手段がない。早い物勝ちよ!(必死)

幸い希望者は4人で収まり、私含めて女性二人、男性二人がレンタカーに同乗することになった。

 

こうして私はサクラメントへ向かったのである!
(長くてスミマセン)

 

車で4時間の長旅を、赤の他人と過ごすことになったが、そんなことどうでも良かった。とにかく生き延びた気分だった。

ちなみに車内では、後部座席で隣に座った若い白人男性が話しかけてきて、東海岸から来たと言っていたが、それくらいしか理解できなかった。その内会話が成立しないことがわかり、彼はあきらめて寝てしまった。

レンタカーした女性は富裕層だったのか、当時まだ珍しかった大きな携帯電話を使用していた。当初の到着予定時間を大幅に過ぎてしまったので、その電話を借りて車中からホストマザーへ連絡させてもらった。

料金を聞くと、very expensiveとしか言わない。まだ普及する前の携帯通話料は相当高かったのだろうが、彼女は私からお金を受け取らず、レンタカー代もいらないと言った。絶体絶命の哀れな留学生に同情したのかもしれないが、弱った心に優しさが沁みた。まともに会話が通じない私を車に乗せてくれた親切な人は、今も元気にしているだろうか。あの時の私は、ただただthankyouを繰り返すことしかできなかった。

 

サクラメントに着いた後、見知らぬ人たちと車に乗るのは危険だとホストマザーに叱られた。

確かに危険だったのは認める。着いたばかりの異国の地で、万が一誘拐でもされて行方不明になっていたら、取り返しの付かないことになっていただろう。だが英語力も土地勘もない私に何ができたのか。治安が悪いと擦り込まれた国の、名前も知らない土地に、アメリカに不慣れな日本人が一人でいたら、事件が起きる予感しかしなかった。

このように留学初日に手痛い洗礼を受けた半面、レンタカーをしたあの善良な女性に出会えた私は強運ではなかったか。ホストマザーにもYou are luckyと散々言われたように、犯罪大国のアメリカで、見知らぬ土地へ放り出された危機的状況から抜け出し、結果的に何事もなく目的地へ辿り着けたのは私の力ではなく、運によるものが大きいと思う。そう考えると、私はまんざらただただ不運な人間、ではないのかもしれない。
(ということにさせて下さい)

【完】